瀬崎社会保険労務士事務所代表瀬崎芳久の経歴です。
1980~1983年 |
島根県立松江南高等学校時代
1年生のとき、ほとんど勉強をしなかったため、留年の危機に。 2年生になり、徐々に成績を上げ結局地元の国立島根大学法文学部文学科を受験し、合格する。 しかし進学は、スベリ止めとして受験し合格した私立大学の中から駒澤大学に決める。
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1983~1988年 |
駒澤大学法学部政治学科時代
充実した学生生活とはいいがたかったものの、3年生より入ったゼミの仲間とすごした時間は良い思い出だ。 授業には高校時代の延長で真面目に出席し、卒業時の成績もそれなりによかった。 アルバイトについては長期的なものはしなかったが、『百貨店でのお中元、お歳暮の販売・仕訳・包装』『アパレルメーカーの派遣として百貨店催事での販売』『工場での水羊羹の箱詰め』『某雑貨ショップでの商品管理』『交通警備』『花火大会の警備』など短期のものを経験した。 この百貨店でのアルバイト経験、そして先輩の影響で興味を持ったファッションが就職先を決めることになる。
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1988~1992年 |
アパレル商社時代
新人研修後に、某ブランドのディヴィジョンに営業として配属される。 さる理由により、まともなOJTをうけられず、仕事は上司、取引先に怒られながら自分で覚えていった。 時間がたつにつれ、会社からの評価も高まっていた。 しかし、結局会社を辞めることになる。
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1992~2001年 |
2社目のアパレル商社時代
前職を辞めようと考えていたとき、前職を辞めた先輩の強引な誘いにより転職した。 前職には労働組合が合ったのに対し、こちらは完全なオーナー企業であり、また仕事の進め方は前職とはかなり違ったものであった。
何とか仕事をこなすうちに周りの状況が大きく変わってきた。 バブル崩壊の余波でアパレル業界では、世界最大のアパレル会社であった日本のR社が業績不振で大リストラを行い、コングロマリットでアパレルも展開していたK社が倒産し、また同業他社のK社も黒字倒産をする、ということがあった。
「果たして今の仕事をこのまま続けていても大丈夫なのだろうか?」
ここでよりどころとなるものを求めて、社会保険労務士の資格取得を目指すことに成る。 税理士、中小企業診断士も候補であったが、給与明細に載っている『雇用保険』『健康保険』『厚生年金保険』に興味があったこと、『就業規則』に興味があったことが最終的に社会保険労務士を選択した動機である。
結局、社会保険労務士試験には1999年に2度目の挑戦で合格することができた。
社会保険労務士試験合格後、その流れで周辺知識も得ようと思い、当時まだできて間もないファイナンシャルプランナー資格にも挑戦した。 こちらは無事に1回目の挑戦で合格した。
ここで資格を活かした仕事をするべく転職先を探すことになる。
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2002~2002年 |
保険コンサルティング会社時代
資格を生かすべく転職をしたのにもかかわらず、資格は全く活かせなかった。 仕事内容も想像していたものとは違い、また会社の方針なども全くみえなかった。
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2002~2003年 |
経営コンサルティング会社時代
前職での失敗もあり、慎重に探した転職先である。 ここではじめて社労士登録をした。(2002年) 社労士の仕事も助成金コンサル、就業規則作成等をしたものの、どちらかというと営業の仕事に比重を置くこと求められるようになる。 資格を活かした仕事をしたい自分としては、社労士の仕事の一部を経験し、独立をすることを考えるようになる。
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2004年~ |
社会保険労務士として世田谷区に事務所を開業
前職を退職し、社労士として独立する。 開業以来、現在まで請負業、派遣業、建設業、卸売業、小売業、美容業、物品賃貸業などさまざまな業種の社会保険手続き、助成金申請、労務相談、雇用管理制度構築、就業規則作成を手伝う。
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経歴の詳細についてはブログで随時公開していく予定です。